今日は、雑談です。すみません。
ライアーゲーム見逃した。
美人時計というプロジェクトには飽きてしまった私。
ガジェットを剥がすほどではないが、元来美人を転がすことに強いモチベーションはなかったので、PCのデスクトップに置くようなことはしてません。
他の会社から、天気の天使だかそういうのが出るらしいすね。
あっ、それだけ。
よく考えたら、自分が美人に餓えてるかというと、結構否です。
美人なんて、すれ違う女性全てそうなんですから。
アド街に、〇〇コレクションってあるでしょ。
あれ、コレクションってだけなのに、常に60のスライドが女性なのかわかんないですよね。
全部野良猫でもよさそう。
しかし、全員女性であることと、あわよくばまさみの絶対性を揺るがす逸材が出てくることを期待してしまいます。
とわいえ、別に美人縛りじゃないですよね。
いや、全員美人ですけど。
合コンや美人が出てくることに価値があるサービス(多くは水商売・性産業に思えますが)において、そもそも美人が前提だから、美人が出てきて当然で、そうでなければ残念、人によっては怒りすら覚えるなんて話になりそうです。
たいして不思議ではないんですけど。
美人は、神をも恐れぬ行為として、格付けをする場合に、ひとつの尺度な訳です。
美人を冠すると、その尺度は前提レベルで満点になります。
結果、今あるものより劇的に優れた結果は考えにくいため、この尺度だけに特化した事項は中期的な次元で飽きます。
僕にとっての美人時計が、そういうタイミング。
合コンでは、おしゃべりとか駆け引きとかあるんで、美人をいじり飽きても価値を見いだせそう。
価値の尺度が多角化してるのはよさそうです。
アド街のコレクションは、美人に伸び代があるんでよいということですね。
しかし、将来性を評価するよりも、今完成されているものに魅力を感じることも真。
難しい…