昨日が誕生日でした。だまっていてごめんなさい。
メールでも何でも自発的に祝ってくれた人は
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予想通りの結果でした。
私は、お誕生日会なるものを開催したことがなく、めっきりいわゆるハレの日には無縁な人間です。
去年とおととしは、一人ずつくらいメールをいただいた記憶があります。素直に嬉しかったですよ。お礼も言いました。
ハレの日とはどのような性質なのだろうと、無駄に難しく(?)考えてみました。
ある日が、ハレの日かケの日かどうか決めるのは、当事者自身だと思います。例えば、誕生日に超最悪な思い出があって、毎年誕生日を迎えるたびに気分が悪くあるんであれば、いくら誕生日が一般的には祝い事であっても、とてもそうはなれません。
また、本当に普通の平日でも、自分の気持ちによってハレにすることもできると考えます。(私に経験はないハズですが…)『付き合って1ヶ月の記念日』なんていうのはその例でしょう。
ハレの日の存在意義というのは、その対義であるケの日との対比であると思います。普通の日常の中に、めでたいことがあるからこそ、喜びを実感することができるというわけですね。
また、私の思う理想のハレの日像というのがあります。
それは、ある人のハレは他の人をもハレにするということです。
結婚式なんかがいい例かと思います。基本的には、新郎・新婦のためのものです。しかし、新郎・新婦の身内の方、友人…いろいろな人が感動していますよね。つまり、関わるみんなにとって特別なことになりうるというわけです。
非常に理想的なことではないでしょうか。
この例のように、大きな力を持つハレの日を迎えるためには、豊かな人間関係が重要です。もちろん、ハレの日自体が大きいことも理由になるでしょうが。
私の誕生日は、そんなにたいしたハレの日ではないのかもしれません。ただ、誰にも祝われないのは、私の人間としての未熟さの表れなのかもしれません。確かに、最近は特に普段会えない人とのコミュニケションが欠如していたように感じます。
誕生日を喜ぶどころか、少し自分を反省したほどです。