バスって、暇なんですよ。だから、最近思い出すことで話をしますね。
私は、高校の頃、クラスのみんなの前でお話をしたことがあります。それは授業の一貫なんですが、普段は校長の話を聞くだけなんです。それで、校長からみんなの前でしゃべってみろという企画が持ち上がりました。もちろん、誰も手をあげません。その結果、私に白羽の矢が当たったのです。
私が、お話をする前々日に題が決まりました。そして、話の内容なんて考えるわけなく、当日を迎えました。一説によると、詳細を決めずに、題材などに合わせて話が出来る人は左脳が優れているそうです。アドリブに強いというのもこの類かもしれません。私は自分が左脳の優れた人間だと信じて話の題材だけ決めて挑みました。
当日、他に誰もやらないということで、何分しゃべってもいいという無駄な許可をいただきスタート。
一字一句覚えているわけないので主な内容を述べます。
人間はいったいどのくらいで満足するのか―
あるテレビ番組をみて、討論がなされていました。
例えば、年収が1000万円を超えればいいのか?世界一の金持ちになれればいいのか?
私は、こう思います。本当の満足なんてないんじゃないかと。
人間はそもそも貪欲じゃないんでしょうか?いい結果が出せたとき、誰だって素直に喜びますよね。でも、そこで終わるなんてことは滅多にない。また新しい何かを求めていくもんだ。
その貪欲さは、いいものなんじゃないかと思います。結局それは、自分をずっと高めていくことにつながるのだから。
まあ、こんな感じですよ。
加えて、今思うのは、一時的にでも満足するというのは、目標を達成できた証拠であること。その結果、自分の実力や出来ることが増える。そして、新しいことやもっと難しいことに挑むきっかけや自信になるんだということ。
いわば、学習なんですよ。何かを達成できたことで、自分の行動が変わっていく。そのプロセスを繰り返しているんです。
だからこそ思うのは、本当に満足する瞬間は、やっていた何かの結果が出尽くし、完全にやめる・引退するとき、自分が胸を張れるかどうかで決まるんじゃないか、と。すべてやめて、未練があれば満足してないんじゃないでしょうか?
このように定義すると、おそらく、満足なんて一生にほんの数回しかしないでしょう。
ただ、その経験はすごく貴重で、きっと大きな自信に、大きな強さになるでしょう。
そんな経験はあるでしょうか―