最近の出来事で、非常にクソで盛り上がったのが、河村名古屋市長の金メダル噛みと、サンデーモーニングの張本氏の発言です。
私は、これらの出来事に関してはネットニュースとニュース番組で取り上げられるレベルで把握しており、クソだなと思いました。まぁ、全部の場面を自分の目で確認していないので、バイアスがかかっているとも言えるのですが、まぁクソだなと思います。
まず、前者についてです。
ツッコミどころは枚挙に暇がないです。中には、過去にしゃちほこか何かのお披露目で噛んでいたというのを持ち出して、河村氏は「金を見ると噛む」とか指摘している人がいました。非論理的ですが、悪い意味で人をイジるという文脈で成立してしまう状況になってしまっていましたね。
話がそれましたが、シンプルな問題点は、私はメダルを噛むという行為が、他人の持ち物を壊すことに直結するからです。報道したり批判したりする人にとっては、「金メダルだから」とか「わざわざ表敬訪問してくれた相手に」とか言いますが、それは炎上を盛り上げるための燃料でしかありませんので、もうちょっと本質的な指摘をしてほしいなとヤ○ーニュースのコメント欄を見て思いました。だって、銀メダルだったとしてもなんやこいつと思いますし、河村氏がお出かけしたらメダリストがいて、メダルを持っていたから「市長です」と言ってメダル噛んでも、なんやこいつと思うからです。
河村氏の愚行をイジるのに飽きてきた頃、そう言えば、近年は「メダルを噛む」という行為自体が、メダリスト本人の行いだとしても感心しないことだという風潮に変化していたと思い出しました。(ここ1~2年で目にした話だと思いましたが、、河村氏のメダル噛みのせいで、あまり役に立たないまとめサイトばかりヒットして調べる気力を失いました。)東京2020でメダル授与のシーンはできるだけたくさん見ましたが、メダルを噛んだ人を私は一人も見なかったので、実際のところメダルを噛む行為は行われなくなっているのだなと確信したものです。
こういう流れを踏まえて考えると、河村氏の場合、”他人のメダル”であることを抜きにしても、時代に取り残された行動を取っていたと私には思えました。政治家は、最新の物事に対処し、豊かな未来を造ることに貢献すべきであると考えれば、河村氏は過去の行為にとらわれてしまっている、最新の考え方についていけていない人という印象となり、政治家の適性が低いように思われました。
愛知トリエンナーレの件もあり、自分が気に入らなければそれを排除する、適切な判断ができない人だという印象も持っていました。名古屋市のみなさまにご愁傷様という気持ちが少しだけありましたが、、もう4期目なので見抜けていない市民も悪いと考え、それ以上考えるのをやめました。
さて、河村氏は7年前=2014年の「世界コスプレサミット」で、声優のみっく(伊藤未来)の肩に手を回したみたいな話でセクハラを持ち出したのも出てきました。今話題の人物の炎上ネタになるのではという魂胆で、質の低いメディアが動いた記事だったように認識しています。これ、現在やればセクハラだと言われる可能性は高そうですが、7年前にそこまで言われる案件なのかは極めて微妙に思われました。実際当時は、問題になっていないから、みっくのファンだという謎の素人を持ち出して「気持ち悪い」と言わせる手法をとったのだと私は理解しました。
この記事に関して、「みっくと呼んでるオタクが気持ち悪い」みたいなことを言った者がいたと聞きますが、こういうレベルで問題を取り違える人は、河村氏に勝るとも劣らない程に空気が読めない人だなと思います。
張本氏の発言については、その危うさはとっくに顕在化していたので、改めて言うことないような気がします。
サンデーモーニングのご意見番として君臨する張本氏は、過去の成功者≒昭和の神様みたいな扱いにし、本人の好き勝手発言する傾向を上手く利用されていると考えられました。毒舌をヨシとする時代に乗って賞賛されていた時期もあったので、悪い意味で肥大化してしまったところもあります。過去に危うい発言があり非難されたときも、本人が誠意を持って謝ったという記憶がなく、まぁあったとしても、同じ過ちを繰り返しているように思われるため、結果的に反省していないのですが。
張本氏がスゴいのは、自分の考えを絶対に曲げないところです。最近の案件で言えば、大谷翔平のいわゆる二刀流の全否定でしょう。できるかできないかなんて、大谷選手の現役時代に評価すること自体が実は難しい、少なくともまだ実働期間が短いので、単に頑張れとか、ケガに気をつけてとか、休めるときは休めよみたいに言うか、意地が悪くても働き過ぎとか、俺なら打者に専念するねとかにしとけばいいものを、取り組み自体を否定するから偏屈な年寄りという印象になってしまうのです。
それも含め、自分の完成した=固定されて柔軟性のない考え方に基づいてあらゆることを判断し、その上、貧しい語彙で誤解を生む表現をするものだから、ひどいものです。平成時代で十分に時代遅れの考え方でいらっしゃいましたが、前述した毒舌コメンテーターの一角として評価されてしまった時代とかもあって、誰も責任を取らずのらりくらりとしていたら、令和になっちゃったという印象です。入江聖奈選手への発言は、自身が広義のスポーツ選手だったという経歴や、今の時勢なども相まって、過去最低レベルのものだったと思われました。
どちらの出来事も、私が想像した背景や、ダメなところなどは全然違うところです。しかしながら、どちらの事件においても、時代に沿った正しい考え方ができない、もっというと時代に追随していく努力をしなかった人のなれの果てを見ているような気持ちになりました。
そうはいっても、最新の考え方を取り入れて柔軟に変化していくことは難しいものです。それに、新規に出てきたことを認識・解決しようとしたときに、過去の出来事や成功体験を検索してしまうように、新しいことを新しいと認めることも難しいと思います。
反面教師として、自分は頑張っていこうと思いました。
それでは。