今年(2016年)といっても2週間そこそこだが、いろいろとあるものである。
ひとつ、ある意味ホッとしたのが、ベッキー氏の不倫報道があって、「あぁ、そう言えば、スマ婚などという、なんとなく信用できなさそうな広告が電車内に登場したとき、ベッキーだったな…スマ婚か…(´_ゝ`)」と考えたのだけど、今のスマ婚のCMは黒田エイミさんだそうだ。
そんなことより、ジャーナリストの竹田圭吾さんが1月10日に亡くなったのである。
癌である、厳密には「癌で一時休業しており、おそらく今でも治療が続いている」と認識していたが、自分があまり予期せず亡くなるだなんて思っていなかった。まだお若く(51歳)、残念である。
広い意味での有名人が亡くなっても、なんだかんだで特別何か思うわけでもないのだが、さすがにこれだけはビックリした。そのくらい、竹田さんの存在に期待していたことが多いのだと思う。
竹田さんを認識したのは、とくダネ!のコメンテーターとしてだ。
公式ホームページによれば、2004年の4月からご出演されていたとのこと。
2004年といえば、僕は大学生の頃だ。(当時は)フジテレビに勢いがあり、ひとり暮らしでテレビを見ることの自由を得た自分は、根限りフジテレビ(といっても、仙台にいたので仙台放送なのだが)を見ていたのである。
ほとんど1限の授業を取ることがなかった自分は、とくダネ!をそこそこ見ていたのだ。
とくダネ!については、好きなコメンテーターというのがあって、
- 竹田圭吾
- 高木美保&デーブ・スペクター
- 岩上安身&眞鍋かをり
だった。
今はもうデーブ氏しか残っていない。移ろうものです。
岩上さんは、竹田さんと並んでとくダネ!におけるトップの論客という認識でいたのだが、震災のあと、難しい人だというのが表になって、事実上降ろされたんだろうなどと思ったものだ。
直接関係なく、Twitter上での言動を見ていて、ちょっと違うなって思い、だんだんと嫌いになった…
竹田さんは、大きくバランスを損なうような人ではなく、そうはいっても的確で示唆に富んだコメントをする方だった。
それ故、長く様々な番組にご出演されていたのだろう。
Twitterで「バカ」とか「うんこ」とかよくおっしゃっていたが、うんこの矛先のアカウントは、ちゃんとおかしなことを言ってつっかかっていたので、よくニヤリとさせられたものです。
ご本人にお会いしたことがないのだが、ちょっとした思い出はある。
火曜日はホールトンが放るとん。
— 竹田圭吾 (@KeigoTakeda) 2011, 11月 13
(将来消えてしまうかもしれないので、スクリーンショットも失礼する)
竹田さんは、プロ野球のホークスファンだった。2011年といえば、ホークス vs ドラゴンズの日本シリーズだ。
セ・リーグ、パ・リーグともに、シーズンMVPが和田(和田一浩/和田毅)だった年だといえば、思い出す人もいるだろう。
上記は、2戦目終了後の発言である。
面倒なのでいちいち調べないが、ホークスの先発は和田→杉内ときて、3戦目の先発を予想している。当シリーズは予告先発がなかった。
2011年は攝津正は先発だったが、ホークスの右腕で一番勝ち星を挙げたのはホールトンだった。
なので、ホークスを代表する両左腕に続いて勝ち頭が先発するだろうという読みは納得感がある。
僕は、秋山監督の気持ちを読んで、自力の安定感がある方を先発させると考え、攝津と予想した。その旨を竹田さんのダジャレに返信してみた。
すると、返答があったのだ。
冗談はよ摂津うに。RT @overtime_over 私は火曜日の先発は摂津だと思います、とマジレス
— 竹田圭吾 (@KeigoTakeda) 2011, 11月 13
(これもスクリーンショットを…)
なんと饒舌なのだろうか!
ダジャレにガチの返答をしたので、”マジレス”と書いてしまったが、ダサすぎる。今になって見返すと、恥ずかしい。
あと”せっつ”を簡単な漢字の方に変換してしまったのは、注意不足だった。
なお、第3戦目の先発は攝津だった。第4戦目が確かホールトンで、攝津はその後、中継ぎとして登板したことで、驚かされた。
結局、日本一はソフトバンク。
死が近づいてなお、自分の役割を全うするというのは、どんなに難しいことでしょうか。
最後にひとつ、叱られたというか、教わったというか、そういう気持ちです。
特に晩年、とくダネ!は見なくなったし、、JAM THE WORLDはおに魂の裏番組なので聴かなかったし、Mr.サンデーも見てないし、未来世紀ジパングぐらいになってしまっていたな…
竹田さん、実は(?)ブログがあって、頻繁に更新されているものではないが、これも興味深いのであった。
改めて、悲しいことよ。
合掌