好成績における矛盾

女子スキージャンプの高梨沙羅選手、4位でした。

僕がメダルを期待しすぎたせいですね…

4位で文句があるかという考えはあるのですが、敗因を考える論調にただ乗りしてみると、飛型点が課題だという話になっていました。

飛型点を伸ばすためには、テレマークを入れろという当然のルールがあります。
高梨選手は、ソチのジャンプにおいてテレマークが入らずというところでした。

また、テレマークが完璧に入った場合の得点期待値をはじき出すと、優勝だったとも。

なるほど、かしこまりました。

高得点なジャンプは、遠くまで飛び、テレマーク込みで飛型がよいということになります。
ただ、飛びすぎると、着地点が平らに近くなるとか、普通に体に負荷が大きいよねと想像が付きます。

そうは言っても、ちょこっと距離を出すよりは、テレマークが入った方がいいのも事実(得点的に)。

長野オリンピックの時、原田雅彦選手が個人ラージヒルで銅メダル取りましたね。
この2本目では、(当時)白馬のスキー台で、バッケンレコードの最長不倒を決めて、計測を慎重にした結果、得点がなかなか出なかったことがありました。

この時、原田選手は「飛型点が悪すぎて、ダメだと思った」的な発言をしていましたね。
長野の頃には、飛型点におけるテレマークが重要になってきた時期だと記憶しています。確かにあの時、原田選手はペタって着地していました。

僕は、中学2年の国語の授業であったスピーチで、船木和喜選手が好きという話をしたことがあります。

先生が、整った眉毛をいじる展開にしちゃったけどな!

船木といえば、「世界一美しい飛型」と称され、よく満点(ジャッジ一人につき20点)を出していました。

そのジャンプは、遠くまで飛び、テレマークを決めてたどり着く境地でした。

高梨選手は、ソチのジャンプの時、風の条件はよくなかったようでした。
そうは言っても、K点は平然と越えて、100m前後には安定して持ってくる…ジャンプそのものは、既に究極に近いと思われます。

今は、ルールで風の条件を考慮して、得点調整があるということですが、飛型点を出すために遠くまで飛ぶということも必要になってくるからこそ、こう、運の要素と言いますか、どうしてもこう、あぁっていうか、いい条件で飛ばしてあげたかったなんて思ったわけです。

さぁ、論がメチャクチャになってきましたが、テレマークはもう今回は許してあげて、飛ぶこと自体はうまく、おじさんは風が悪いと思うんだというところでした。

ぜひ、リベンジを…

5回挑んで

日本時間の昨夜未明から、女子モーグルの準々決勝・準決勝・決勝がありましたね。

見ましたか?僕は見ました。

これを見るために、22時くらいに眠りにつき(事実上の寝落ち)、25:30に起きました。

生徒会役員共のアニメを見て僕の気持ちを高め、いざ適当にリモコン操作してオリンピックへ…

女子モーグルかぁ、準々決勝ってことで見ました。

前々より、コースが過酷であると報じられておりまして、もともと怪我の回復を見込んで代表入りした伊藤さんがやられ、、準々決勝前にはもうお一方日本代表の選手が怪我をされて辞退。なんとも辛いことになってしまいました。。

上村愛子様に集中…

準々決勝を勝ち、準決勝へ。

間もなくやるって話だったんでそのまま見ました。
上位6人が決勝ということだったので、もう祈りながら見てましたよ。
見事6位で通過。

ここで一息ついた僕は、仕組みを理解できていませんでしたね。決勝も、このあとすぐだって


((((;゚Д゚)))))))

今大会から、こういう勝ち上がりシステムになったようですね。

えー、滑走は準決勝下位順だったのかな…

上村さん一番手でした。

速くていい滑りでしたよ。
集大成感ありましたね。

得点が以外と伸びず、最終滑走者時点で3位か4位かというところでした。
いやー、最後の方は、明らかなミスが見られたので、呪うような気持ちで結果を待ちましたが、、得点的には惜しくも何ともないレベルの点差で、ガックリでした。

事後、上村さんのインタビューは泣けましたね。
本当に、オリンピックのメダルが採れなかったことの言及は、グッとくるものがありました。。・゜・(ノД`)・゜・。

中には、上村さんの方がメダルに相応しいという意見があったようですが、まぁそれを言い出すとね…

インタビュー中では、最後のオリンピックであることを示唆する発言もありました。
そりゃあもう、5回目でしたから、そういう年齢でもありますから。

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上村愛子というアスリートを知ることになったのは、長野オリンピックです。

彼女は18歳の高校生でしたね。
7位でした。

あの時は、里谷さんが冬季オリンピック女子初の金メダリストになったやつです。

上村さんは、無邪気に悔しがって見せたのぎ記憶にあります。

かわいかったな…

その後、2002年のソルトレークでは6位。

この時は、里谷さん銅メダルでしたね。
いや、里谷さんの勝負強さには感服します。

そして、2006年トリノオリンピックでは5位でした。
オリンピックの表彰台が遠いことへの発言は、彼女の悔しさをよく表していたと思います。

2010年バンクーバーでは4位。
一段登りましたが、メダルには届かず、またしても涙を飲んでしまいましたね…

そして、昨晩ですよ。ソチですよ。
まず、これだけ長く第一線で活躍されることに尊敬を抱きながら、ついに表彰台を登るときがきたと、強く思ったのですが…

とうとう…(T_T)

そりゃあ、歳も取りますよ。

上村さんは34歳になられ、結婚もされました。

僕かて、長野オリンピックの時は中学2年で、その後、高校・専修学校・大学と進学して社会人。
30歳になり、若くして多くの髪の毛を失い、いろいろ悩んだり困ったり絶望したりしているところです。

あぁ、なんで髪の毛の話が出てくるかって??

Windowsの修復のために、再インストールとかの作業していた時に、

4年半か5年半前に、今はなき九段会館のビアガーデンで撮ってもらったバニーガールとのピース写真が出てきて、その超絶薄毛っぷりに、自分で自分が気持ち悪くなったからさ!

トレンディーエンジェルというお笑いコンビ、ご存じですか。
こちらの、主に向かって左側の方、もっぱらスーツでいらっしゃる方と同じ困難を抱えている写真です。

自分がこうだと気が付いたとき、もう、人を好きになってはいけないんだなと思いました。

巡り巡って今があります。

上村さん、ほんまにお疲れさまでした。

バカな私は、その滑りは時々映像をみないと忘れてしまうと思いますが、長野オリンピックの時や、ソチの競技を終えてインタビューで見せてくれた笑顔は、忘れないです。

まじはゆっくり休んでほしいです。

僕も休みたい。