無理のないエコ

近所の桜のお祭り期間、ペットボトルの回収に持っていっていたスーパーの回収ボックスを閉鎖するという貼り紙がでていました。

なんてことはない、祭りの出店で浮かれた輩が、ペットボトルや牛乳パックやプラスチックトレーの回収ボックスをゴミ箱にしてしまうという事実を認めての対応と推察されます。

例年そのような対応だったと思うのですが、いろいろと失望や不信で彩られてきている2014年において、僕はひとつの終わりを感じたのです。

もう、空きペットボトルをスーパーまで持って行くのは止めよう。

もともと、わざわざスーパーまでペットボトルを持って行っていたのには理由があります。

・近所のゴミステーションに併設されるペットボトルネットかごが、数日満杯で、出すタイミングがわからない
・たまに、10円のクーポンがもらえた(何年か前に廃止)
・駅の道のりにスーパーがある(何年か前にもっぱら利用する駅が変わった)
・根拠のないエコ正義感・満足感

僕を甘やかす要因がなく、出しに行くことはごくごく日常の行動からはぶれ、それ自体を誇れるのかも自信がない。

ゴミステーションが満杯かもしれない可能性はあれど、止めるには十分すぎる理由があったわけです。

本件はひとつの具体例ですが、もう本当に最近は、何かに対して、そのこと自体の意味のなさを悟ったような気持ちになることが、とても増えました。

僕は、こうして乾燥した物体に近づいていくのでしょう。

それでもたまに、自己矛盾がある。

いつか、もっと大きな事を止めてしまいそうにすら感じることがあります。

生きろよ。