今日は、卒業論文口述試験のレジュメの締め切りでした。
個人情報にビビってあんまり大きくはないんですが、メチャメチャ修正されているのは分かるでしょうか。
そして、
結局は提出できなかった件
いえいえ、ご安心を。なんと、提出は延ばしてもらえましたとさ。
別に、そんな話をしたいのではありません。
左の画像の訂正と説明を受けた時間は、約25分。はっきり言って、字は読みづらく、とてもたくさんのことを言われたので、45分で修正できるわけがないと思いました。そして、実際にできませんでした。
私は気分を害したわけではありませんでした。どっちかというと、なんとこのレジュメ作成をきちんとやってこなかったのだろうという気持ちと、とてつもなくダメな卒業論文を提出してしまったという事実の再認識で、絶望感とか焦りで一杯でした。
訂正を始めてから30分ほどして、先生がレジュメの期限を延ばしてもらったことを教えてくれました。でも、その時は修正が2割ほどしか進んでおらず、「あぁ、そうか」くらいにしか思いませんでした(←今となっては、命を救われるほどありがたい話です)。
私の修正が7割ほどになった時、私の研究室の同僚が修正を終えて帰っていきました。なるほど、やはり私が受けた指導はとてつもなく多かったのだと再び思い返しました。
9割ほどできたとき、同じ部屋で行なわれていた先輩の自主ゼミが終了しました。すると、私に声をかけてくれ、なぜか1日早い恵方巻をいただきました(←余っているということだったので)。ちょうど、赤が入った私のレジュメを見て、「すごい量だね」と先輩がおっしゃていました。私は、「何もないよりはずっといいですよ」と話しました。実のところ、3割くらいはヤケクソだったでしょう。
先生はしばらく研究室にいるということだったので、出来上がって見てもらいに行きました。すると、右の画像のようになりました。あの赤の量を修正しましたが、なかなかの量です。
提出の期限が週明けに伸びたので、別にどれだけ負担があろうともあまり関係はなかったです。それに、あれだけの赤ではむしろ抜けた部分がある方が自然なように思えます。とはいえ、ここだけの話ですが、先生は日本語の言い回しに対する指摘が、あまりに厳しいと私は感じており、「よくもまあ、そんなに気がつくものだなあ」と正直マイナスイメージで捉えております。
そして、再び修正することになりました。
そのとき、先生が(おそらくですが)何気ない一言を。
「あんなに修正した後、可哀想なことしたなと思ったけど、よく頑張ったね。もう一頑張り。私も、仕事頑張るから。」
先生は、研究室に戻っていきました。私は、向かいの部屋で独りなんですが、とても恥ずかしいに襲われました。
「なんと、バカなことを思っていたのだろうか」
今までは、やることがあれば自分でやって、自分でできた気分になっていました。先生に相談することはあっても、別に先生とベッタリとは言えなかったので、わりと個人個人に思っていたのです。
本当に頭が良くて物知りな先生は、結局手の届かない存在で、せいぜい尊敬や憧れ
だと深層では思っていましたが、
仲間
なんだなと、初めて私は思いました。なんだか、涙が溢れそうになりました。
当然のごとく、すぐに仕上がるわけもなく苦戦はしましたが、不思議と苦痛はなく「いいレジュメを作ろう」という気持ちでした。
しばらくして、先生が仕事を終えたようでコートを着て出てきたときに、ちょうど私のレジュメも出来上がりました。
そして、ほんのちょっとだけ修正を加えて見事に完成となりました。
作った私は当然のこと、先生も満足そうでした。
先生はすぐに帰っていきました。
今となっては、先生の仕事というのは「私のレジュメができること」だったのではないかと思ってなりません。さすがに自惚れでしょうが。
レジュメ作成を通して、大きな気付きと自覚を持つことができました。
今日の恩は、口述試験できちんと返したいと思います。
見守られているという幸せ
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