消えゆく熱意の話

そこそこ前になりますが、ログ・ホライズン作者殿が、納税してないという報道があり、それをきっかけに作者が男性だと知った人も少なくなかったと思います。

僕がそうです。

下の名前が“ままれ”ときて、本名かどうか知らないまま、女性だったらいいなという謎の都合で妄想してましたからね。

この話題を見て、納税の義務を果たさないやり口の中では、大変驚かされました。

営利企業なんかで見られる「見解の違い」でもなく、熱心に脱税するわけでもなく、単なる怠慢(としか考えられない)なんていうのは、社会人としてはなはだ疑問をもったわけです。

これにかこつけて、僕が何か暴言を吐く訳でもないのですが、あの思慮深いシロエさんがこんな浅はかな環境で生まれたのかと感じるようになり、ログ・ホライズンが持つ雰囲気が崩れ去った気がしたわけです。

自分の中で、もういいやという思いが芽生え、購入していたBlu-rayの取り扱いをどうするかの検討を行い、現在の発注分はキャンセル、入手済みのものは処分(買取市場にて売却)することが決まりました。

この決断は、それほどすぐには出ませんで、アニメに罪はない
とか、放送終了後の過ちであるとか(アニメ放送中にも罪を犯していたはずだが…)、お蔵入りかも!≒激レア化期待!とか、考えたんですよ。
でも、自分の感情が、別れを選んだのです。

幾ばくかの葛藤はあり、好きなのに、別れる恋人たちの行動に近いのかもしれません。本件については、ログ・ホライズンに対抗する作品があるわけでもない(他に好きな人ができた的な)のに。

自分に鬼を見た気分です。

多少の悪事に目をつぶったり、一緒に更正をしたりするのではなく、切り捨てたわけで。

浮気されたので別れた、と思えば、もっともらしいけれど。

果たして、アニメ3期はありえるのか。

主人公、かく語りき

今やってるアニメで、録画をしていて、試聴の(心理的に)優先順位が高いものの中に、俺ガイルと暗殺教室があります。

暗殺教室は、こっそり二期が決まったようで、よかったです。
原作のすすみ具合とかまるで知りませんが、既に楽しみです。時間がかかっても良いので、中学を卒業するまでを見届けたいと思います。

あと、俺ガイルは、最新の5話まで見ました。
正直、恐れ入った。
(ネタに言及するので、これ以上は語りません。僕が一連の生徒会長選挙のエピソードでどんな風に考えたか、語りたいレベルでした)

この二つのアニメに見いだす共通点は、(広義の)主人公による語りが挿入されることです。

俺ガイルは、比企谷君が心の中で思ったことがリアルタイムに挿入されます。

暗殺教室では、主に最初と最後に渚ちゃん視点での回想とか思いが入ります。

どちらも好きです。

思ったことが言葉になることで、僕は感情の答え合わせをしているのだと思います。

俺ガイルでは、おかげさまで自分が比企谷君になったような気持ちで見ています。
ヒッキーってあだ名、宇多田ヒカルと同じだよね。元気かな…ってことではなくて、自分がヒッキーに似ているかと言われると別にそんなことないのだけれど、自分が八幡だったらどうするのかとか、どう思うのかとかって考えますね。
ちなみに、戸塚(の中の人)と間違ってもいいと思っていて、断然由比ヶ浜が好きだし、小町も好き、川崎さんの名前だって覚えました。

内面描写に価値が高い作品において、誰かの気持ちを考えることは理想的な観賞方法の手段に思います。
俺ガイルについては、ある意味物事を俯瞰した比企谷八幡の視点が、僕自身の思考を超えていることが時々存在し、心地いいしてやられた感を覚えているのです。
(そういう意味で、2期の5話は最高だった)

暗殺教室は、特に最後の方の語りに、殺せんせーとの暗殺を通して、考え、感じ、悩む中学生の心情を感じ、時おり感動を覚えます。

殺せんせーを、いいやつだと捉えていることに、僕も共感するので、渚ちゃんの言葉は違和感なく聞こえます。

暗殺教室については、語りだけでなく、殺せんせーのみならず、烏間先生がよい先生であるのも大きいです。
烏間先生が、ひたすら職務に忠実なだけでは物足りなく感じたのですが、彼自身も生徒を通じて学びや変化がある点、共感するのです。

もちろん、ナレーショーン係のナレーショーンもいいのですよ。
さばげぶっ!や、今やってる境界のRINNEを思い出すといいです。
もっとも、、この二つはナレーショーンをあえてシュールに調整してるけどね(笑)

やはり、視点が変わって感じられることに、他にない心地よさを見出しているのですな。

それでは。