ありがたい深夜移動

昨日、大人の都合により、ごきげんようが、深夜に放送されました。

僕は、アニメを見てました!

いいとも!が終わったことを踏まえると、ごきげんようが終了するときもまた、ひとつの時代の終わりを感じるのだと思いました。

Twitterを眺めていると、いくらか「ごきげんようやってる」発言が見られ、つかぬ間のサイコロトークを楽しんだ人がいたようでした。
そうは言っても、昼の方が視聴率いいのでしょうね。。

てか、よくライオンが承諾したな…関係ないのか…知らんけど。

こんな編成になったのは、小保方晴子氏の記者会見の中継のためだったそうで。

そんなニーズはあったのかね。。
いや、これは正義感の名の下にあるジャーナリズムですね!

それっぽいことを言ってみたかった。

「STAP細胞見せてみろよ」という意見は、当然と思います。

一方で、小保方氏がなんか出してきて、それを受け入れる度量や、検証できる実力が備わっているか自問自答すると、僕はノーな訳です。
ここは、各々立場をもっておいた方がよい。

なので、STAP細胞云々を、今説明されても、僕には何の意味もないわけです。

「ごめんなさい。これからも頑張ります」以上の何もないかと…
STAP細胞の成果が、今後(も)出なくても、覚えてないので…リアルな話。

最後に…

記者会見をバイキング内にぶっ込むか、深夜に移動するのをバイキングにした方が、面白かったかも。

生放送番組だから、無理か!

それでは。

取材のない記事

最近と言うほど最近の物事でもありませんが、ネット配信のニュース(と称されているもの)の中には、どう読んでも、テレビを見ただけ、ブログを見ただけ、ラジオを聴いただけ、Twitterを数件追っただけで成立したものが見られます。

ヤフーニュースのコメントでも、その点を指摘したり、批判したりするものが見られますね。そらそうよ…

変に情報が多いご時世ということもあるのでしょう。

Twitterをやってる人でも、Twitter上で話題になっていることをすべて把握するのは難しいので、何らかの形でまとまっていること自体ぎくだらないとは思いません。
NAVERまとめとかのサービスが、ちょっと話題になったのも、その裏付けに思います。

もっとも、まとめサイトって、役に立てられるかとか、おもしろく感じられるかは、当然個人に依存しますよね。
僕なんかは、全然響かないのですよ(^_^;)(^_^;)

冒頭のような批判にあう記事というのは、“まとめているもの”と考えた場合に、かなり低次元のものに感じることが多いです。

その理由は、ネタ元がひとつである場合がほとんどだから。

「あるテレビ番組で、○○がこうこう発言していました。(おしまい)」

ですと、そのテレビ番組を見れば、私たちも、当該文章を書いた人と同等レベルの理解に到達します。

金になる記事と言うのであれば、取材してこその何かとかあればいいのに。
あっても、書き手の(下世話な)妄想が多いですしね…

僕でもちょっとどうかと思うところは少なくないわけですが、一番気になっていることがひとつ。

ナインティナインのオールナイトニッポンの最初にある岡村さん主導のフリートーク。

ご意見番的な発言が増えてしまって、休業前の方が面白かったという個人的意見は置いておいて…

これも、そのまま記事にされるのを見かけるんですが、、、、、

ラジオ番組を聞いただけの内容になっていることに気が付いてない人が多くないか!?!?

ラジオ好きとしては、思わぬところで感じる寂しさなのでした。

それでは。