博論がコピペで通るなら、俺だって…
そう思った人も少なくないのでは。
ちょうどチヤホヤの絶頂の頃、解消することのない蓄積疲労と、アレでイラついていた記憶があり、STAP細胞自体にほとんど関心がなかったところでした。
なんで白衣じゃなくて割烹着やねん。朝の連続テレビ小説か!
くらいは思った記憶がぼんやりと…はい、ごちそうさん…
後々、論文がコピペの賜物だということで撤回など、騒がしくなりました。
まぁ、僕のようないろいろなものに興味がない人間は、そのうち全てを忘れてしまうのでしょう。
僕自身、大学で卒業論文を書きました。
提出後の口頭試問で、完膚なきまでに破壊される感じの、僕が属さない方の心理学系先行の人たちを見ていると、考察が甘いとか、考え方の不備の方がよっぽど人間らしい気はしました。
コピペとかの論文ねつ造に梶を切って、最終的には暴かれたわけですが、こういうのって関係する研究が進むにつれて無理が出そうですよね。
しかし、こんなことをしようと思った動機は、一個人としてとても興味があります。
僕は、卒論を書いたとは言え、研究結果が出るような改造なんて考えもしませんでした。心配事と言えば、期限までに書き終えられるかですよ、そう、やる気の問題。
本件は実験データの無理な解釈系統よりも、たちの悪い行為だと思いますけどね。
がんばろー。