あったものが、なくなる。
あえて幅のある言い方をしましたが、(物を)なくす・捨てるといったことや、(人に)ふられる・別れるなど、なくなるものの性質や、なくし方と自分の関与度合いで、いろいろ区別できます。
なくして、そのものの価値に気が付く系の設定は、その後、取り返す(再び手に入れる)、ついに手に入れるために行動にでる、あきらめるなど、いろいろ考えることができます。
もっとも、なくなったからこそ過大評価することだってあると思います。
ヨリを戻したけれど、もっとアレな感じになって、サヨウナラ~
みたいな…
えっ、そういう経験があるかって…??
(ノーコメント)
なくし方は、曖昧であればあるほど、受けるインパクトが減少すると思います。
特に人間関係はそうで、こんな僕でも大部分を自然消滅と言える状況になっていきましたから。
(こういう自然消滅を掘り出して曖昧に接続するFacebookみたいなサービスがヒットするのは、それなりに合点がいきます)
さて、私は自分のことを、なんでも捨てられないやつだと思うのです。
(多少は改善したと思うのですよ。本当に多少ですけど…)
日々ものに埋まっているのは、捨てられないし、片付けもできないし、そもそもやる気がないしというわけです。
(この点は、本当に少しだけ改善しました)
人に関しては、家を汚す原因にはなりませんが、あからさまに免疫が少ないように思います、僕は。
一番の問題は、人に対して打算的なことを考えまくってることでしょう。
あの子を俺の女に…
みたいな。
今は、そこまで助平なのはありません。
(ただし、現役のスケベではある)
人を忘れるなんて、言い方が悪いですけど、全くないわけにはいきません。
今アレな人を失うことを考えると、参ってしまいます。
自ら捨てること、捨てられた場合にその事実を受け入れること、もうなんかいろいろ無理でーす(爆)
と言いつつ、対立もケンカもするし、嫌いになるようなこともある…
ようわからんですな。
人に対して“寂しい”とか“必要”という評価は、なんだか特別に感じる一方で、何の真意も表していないかなとか。
必要な割には大事にされない。脱ぎっぱなしのおしゃれ着か!
知らん方がいいことが多いですわ。。
痩せたい。
月別アーカイブ: 2013年8月
必要なときに出てくる人
先日、勝手に「ラストチャンス」とか思いながら、幕張のアウトレットに行っていました。
今回こそ、アバハウスで買い物するんだ…アウトレットだけど
そう、強い意志で。
アバハウスに対する謎のこだわりは一応の理由があって、高校生になりたてくらいの頃、通学の革靴をアバハウスのものにするという中流階級カッコいい現象があったからです。
ただ、そういうイケてる革靴が盗まれるという問題が同時に発生してね…
俺じゃない。
ちなみに、僕の認識では、自分で行こうと思う高度範囲内には、幕張のアウトレットか柏の三越にアバハウスが存在することになっています。
柏の三越は、、3年は行ってないと思うので、現状は知らないけど(^_^;)
アウトレットに行くといつもアバハウスには寄るのですが、どうしても「あぁっ!」って思って買わなかったんですね。
いや、ブランドに溺れて生きるためには、持っておきたかったんだよ…
片付けとかできないけど
そこのお店には、僕の中でいつもいる女性店員がいます。
背が高く、よく声が出ていて、特に干渉してこない美人。
生徒会のコマ時代の副会長に似てる
そういう感じ。
(別人です)
今回、素晴らしくいいものが、いいタイミングであったので、無事買い物したんですね。
副会長じゃない店員さんに接客してもらって(別人です)
しかし、神光臨。
会計の時に、ベルトの長さが適切か確認したかと副会長に指摘され、あぁっ!サイズがあるんですねとか震えながら、レジ前でヌギヌギして試着とかして、ちょうどいいですねテヘッ(・ω<)っとなって、お買い上げでした。
いやぁ、絶対いい人だと妄想してたんで、よかったです。
(副会長は、明るくて、僕より足が速いスポーツ女子でしたから)
俺のアバハウスで一緒に暮らしてくれませんか
って感じでしたね。
また行こうっと。