今日で、阪神淡路大震災から17年ですね。
僕は、当時小学5年でした。
岡山は震度4でして、我が家には風呂場にちょっとひびが入るとか、ちょっとしたダメージがあったんですよ。
僕の部屋でも本棚から本が落下してました。幸い、棚が倒れるようなことはありませんでしたが。
記憶が定かではありませんが、当日は普通に学校に行ったような…
僕のクラスには、芦屋から年度いっぱい疎開にきた人がいました。
芦屋といえば、まぁセレブでございまして、確かにそうだったかと…
僕は、それなりの関係を築いていましたよ。
自分自身があんまり当事者ではないのでアレですが、疎開は日常から離れる行為ですよね。心底どうだったんでしょうかね。
ガキの自分は、何にも想像してなかったものです。
福島の場合は、揺れや津波の被害は明らかです。
これに加えて、原発・放射線の問題が、不安な人には不安ですよね。
ほぼ確定している要素と、ふれ幅の大きい不安要素が同居していて、随分感じ方が違ってくる状態です。
今後の身の振り方って、例えば震災復興どうするかとか、原発どうするかとかありますよね。
もちろん、自分がどうやって生きていくかということも。
判断は、個人に委ねられています。
ちょっと、今回はメチャクチャを言うことくらいは大目に見ても、押しつけがひどいケースがあって、どうかと思いますけどね。
せめてその瞬間だけは、自分の決断を信じてほしいものです。
後悔の仕方が違うと思うので。
芦屋からきた彼は、さすがに自分の意志でやってきたとは思いませんが…
あんまり悪い記憶になってなければいいです。
彼との時間が、ひとつの復興支援だったのかもしれませんね。
考え過ぎな気はしますが。
17年
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