藤井財務大臣が辞任したそうです。
まぁ、明らかな落ち度を持って引責したわけではないんで、一国民としてのオーバーは、強い関心があるわけではありません。
異常な頻度でテレビに出ている印象はあったので、疲れたというのは、結構事実かも知れませんね。
政治家のテレビ出演は、まじめに政治の話をすることがおもしろいというよりは、失言の揚げ足を取る方がおもしろいという傾向が強いということもあって、特に重要な象徴の大臣なんていうのは、大変で当然ですわ。
そうはいっても、僕が思ったことはただ一つ。
体調が理由なら、議員辞職しないことはなぜか説明した方がいいということです。
案外、議員辞職もするかもしれないので、あんまりとやかく言ってもしょうがないですが。
真の理由は他にあると考えてしまうのが自然に思えます。
辞任の意向を表明した藤井さんを、はとちゃんは慰留したそうです。
政治家は、およそ悪いことをした場合と、辞めることが利益になる時を除くと、なんか辞職をするときは引き留める傾向が強いように思います。
くだらないことと考えれば、単純な慣例とか様式美の範疇かなと。
一方で、やはり、職業柄、国民の意見に基づき選ばれているという特色が、あまりにもダイレクトでかつ色濃く出てるもんだから、中途半端に自己都合だと、責任放棄といわれかねないというのはあるのかも知れません。
そうはいっても、人のせいで、やめられないということはどのくらい正しいのでしょうか。
正しく辞めるというのは、ものすごく意味があると思っています。
社会人ともなれば、それはそういうものですが…
今でも、悔いの残ることがひとつ。
僕は大学生の頃、個別指導塾の講師でした。
ある限られた人にだけ人気があった(と思っている)のですが、退職の仕方が、あまりよくなかったのです。
もっとも、僕が消えていく頃、勤務していた教室が消滅するということがあり、ちょっと職場がゴタゴタしたという事情はありましたが。
私は、ちょうどなんてことはない、ごくありふれた就職活動にいそしみ始めた時期でもあったのです。
年度をまたぐということもあり、4年生になってからの扱いがきわめていい加減になりました。
もちろん、職場も異動ですので、単純に声が掛からなかっただけかもしれませんが。。
僕の就職活動時期は、かの有名な超売り手市場でした。
僕はその恩恵にあずかり、全く内定が出なかったのです(爆)
気がつけば、寒くなってましたね。
そういうわけで、全くバイトに戻ることができる状態ではなかったのです。
一応、お話ししておきますが、そのバイト先の会社の就職試験に応募したのですが、4次選考で落ちました。
そういう現実を見ると、バイトとしても僕の社会人としての価値はゼロに近かったんだろうなと、今となって思いますね。
研究分野こそ教育に関しておりましたが、すでに見抜かれていたのかもしれません。
ガチの教員になった同僚は、夏に本社に拉致されて、内定もらってたのにな…
もはやいいわけですが、僕はその頃から、人にものを教えることが性に合っていたということがあって、本当に結構よかったんです。
さて、そういうわけで、いろいろ思い通りじゃない状況で、結局職場を離れてしまったため、年度がかわっても引き続き通うような人には、挨拶すらできなかったのです。
そうじゃない子は、俺より先に去っていきましたので…
どうやら、継続して通う人の中に、本当に僕のことを慕ってくれる奇特な生徒さんがいらっしゃいまして…
しかも、メチャメチャかわいい。。
ちょうど、その子と打ち解け始めて来た頃、言っていたことがあります。
「かつて、○○センターに、△△という大好きな先生がいたんです。その先生、何も言わずに辞めちゃって、ショックだった」
こういう話を聞いたとき、俺は、こういう過ちをしてはいけないなと、堅く心に刻んだものです。
彼女が3年の頃に1年間担当しておりまして、学校の成績は、引くほどよく、高校も結局県立に推薦で合格しちゃって…みたいな感じ。
職務は果たせたわけですが…
元の教室がなくなって、青空教室になったとき、残りの2度ほどの授業をして、それっきり。
そう、彼女が悲しんだことを、ものの見事に再現してしまったのです。
僕の場合、職場復帰は望んでいたのですが、人間的な問題が大きく枷になり、全くかなわなかったわけですが。
あのとき以来、ずっと大きな罪を背負った気分でいますね。
順調に進んでいれば、大学1年になっているはず。
今は、どんな風に過ごしているか、それより、僕の存在を覚えているか、ほんとに今でも気になります。
何かが消えてなくなるというのは、だいたい予期せぬ突然なことだと思います。
きれいに消えることができるというのは、とってもとっても価値があると思います。
これからの僕は、素敵な終わりを迎えられるでしょうか。
オーバーの罪な辞職
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