悲しき理解の末路

結局1時間出発が遅れました。
判断できなかったから。
最後は、悲しいかな、美しくできなかったけど。
最初、曜日を誤認してるだけだと思ったんです。
実際は、そうじゃなかった。
人の信頼がないから、母は本当は仕事に出ている訳なんです。
しかし、祖母にはそういう認識がなくて、母は遊びに出てしもうとるということになっているのです。
母は仕事であることは、何度言ってもわかってもらえません。
それはそれで僕はいいと思うんですが、母は昼には戻るはずという起こらない未来により、私を留まらせようとするわけだ。
待ったって、お昼ご飯なんか出てこないんだが…
騒いでしまうのは、ある程度しかたない。
悲しいことは、やみくもに叫ぶ動機が、恨みや憎しみにあるところ。
あとは、自身の短期記憶の著しい低下、満足に動かない体にあるようです。
人間は生き物だからこそ、過去の本人と現在の本人を対比させることにあまり価値があるとは思えません。
そうは言っても、笑顔が減ったんは、紛れもない事実。
それだけに、辛いですよ。
延々ループする話だって、悪いことばかり。
別に、僕が誰だかよくわからんつうのは、なんとでもなるから。
笑顔がない。
これは、僕もそうなんかな。
幸せ感じることは、あるんでしょうか。

人付き合いリアル・リモート・消えた人

家におります。
親戚のおじさんとおばさんがやってきたので、40分くらい話しました。
そのあとは、だらだら過ごしました。
昼ご飯は、冷や麦でした。
冷や麦にしたのは、一人暮らしでそうめんを食べるからです。
なんか、小口切りにしてあるネギを凍らせて保管してあるらしく斬新でした。
悪くないので、興味ある方にはおすすめしますよ。
実家では、わさびが出てきますが、私は七味を推奨しますよ。
一人暮らしのおうちでは、5月に調達してきた八幡屋磯五郎がございますしね。
昼下がり、ふと思い立って、恩師の先生にメールをしてみました。
返答がありまして、少し感動しました。
ちょっと社交辞令的な展開になって、終了しました。
次回、生きて岡山の地を踏むことがあれば、お会いしたいですね。
その後…
まぁ、核心が見えないようなやり取りになるということもありましたね。
まぁ、実家にいないと会えないような方に、それこそ会ってみますと、人間というのは、他の人との対比によって、その人自身が存在しているという気分になりますなぁ。
しみじみ。