ワイシャツ変遷記

スポニチの一面は紀香の離婚可能性を報じる分かりにくい記事ですね。
僕はどうでもいいんです。
さて、今日も異様に暖かいです。
春ですね。
終わってみると暖冬と言えるのか、桜の開花は早いらしく。
少しぶりにスーツを着ていますが、微妙に感じること。
昨今、クレリックシャツとかそういう発音のシャツがあります。
地がストライプとかだけど、襟と袖は真っ白みたいなやつ。
出てきた当初、何てダサいんだろうと思ってました。マジで。
今は、正しく着こなせばきれいな感じに思います。
目が馴れたんでしょうね。
一方で、何て派手なんだろうという気持ちは強いですね。
強気の営業(勘違いを含む)とか、管理職にはいいかなと思いますが、そうじゃなければオフィスカジュアルのスタイルですね。
今思えば、ノータイで着るオシャレで台頭してきた感じがしますが…
また、色のシャツって、ホントに使い道がないなぁと感じます。
見渡すと12人に一人くらい、変な青色のシャツを着たおじさんがいたもんですが、なにやらそう滅多なことで青いシャツなんか見なくなっちゃいました。
僕も気がつけば、いかに白のよいシャツを選ぶかに興味があって、他の色なんてとても怖い人間になってたんです。
無駄に目立つんで、少なくとももてなす側ではふさわしくない感じなんですね。
大学の頃とは変わりましたな。
学生の中には、不思議なくらいネクタイの結び方がおかしな人がいるもんです。
どうなってんのか、ちょっと教えてほしい今日この頃です。

見失いつつある自分

さぁ、近年まれに見る厳しさを感じている状況です。
自分が理解している自分では、
・今年に入ってからのことを思い返し、自分に感情なんぞなければよいのにと思っている。
・ここ6年程度の生活を省みると、その都度一時の感情で行動してしまっている。特にここ2年はその傾向が強い。
というところです。
間違ってる可能性がありますが。
自分の行動の多く、特にお金や時間のかかってしまうことにおいて、まさに空虚感を感じました。
目的が違うんですわ。
昨日、ファイブフォックスのゴールドカードの有効期限を1年のばす要件を満たしました。
もっとも、一般のセールが開始される前にセール価格で購入できるとか、社員販売会に参加できるとか、クリスマスにプレゼントもらえるとか、特権階級ですが。
それを失うことも正しいと理解できるだけ、僕は服を買うことに関心がないんです。
改めて思い返せば、別の目的が僕にはあって、そこにすれ違いができているんです。
今は、気がついています。
という状況が、完璧に当てはまる、他の現象が起こっていることに、つい先日気がついたのです。
しばらくは、感覚的な不一致はなかったんですが、欲望が落ち着いたら、気づきました。
これについては、詳しくは言いませんが、無駄なことしましたね。
自分の中で完結することではないので困ってしまう訳ですが。
気持ちが同じ方向向いてないんだと感じると、本質が見えました。
正直、気がつかない方が楽ですよ。
気持ちは。
自分に感情がなかったら、楽だろうにと思いますわな。
そうはいっても、感情的に優位に立つ側の人(例えば、ホストに貢いでいる女性における、そのホスト)は、感情によりあらゆることをコントロールしてしまえるということはありますが。
僕はそういう立場ではありません。
貢ぐ側にいる感じですね…
不思議なことに、能力的な劣等感や障害は、それ自体感情とは独立したものですが、かなり影響をおよぼすものです。
ここ最近、あらゆる劣等感を感じていたということがあり、相当厳しい状況が続いています。
知ってしまうと避けられないものなので、克服するとか、それこそ黙殺することになるものです。
この場合、後者は根本的な解決にはなりません。
なら、徹底して前者を目指すべき。
ですが、そのための道のりが極めて険しい、ということも少なくないものです。
ものすごいコストがかかるとか、時間がかかるとか。
コストや時間は、お決まりの言い訳なんですけどね。
まぁ、気がつかないわけです。私も含め。
大概、物事が悪くなると、その傷が深くならないようにするものです。
リストラとかあてはまりそう。
もしくは、傷つけるもの、いわば盾みたいなものを作るのもひとつです。
政府に公的資金をつかわせるとか当てはまると思います。
国のお金が減ったり、債券発行が増えて辛い。
しかしながら、問題が自分の中に閉じると、それはそれは。
防衛行動というのは、動物的にあるのかもしれませんが、行動のモチベーションまで削がれていると、そうもいかないと思います。
なんか、そういうのって外的な物事によることって多いんですよね。
圧倒的権力のせいもあるでしょう。
どんなにしたって、原因になっているモノ・こと・人を排除できないこともあるでしょう。
僕の場合、不安要素は確実に持っていると思いますが、まだ自分の振れ幅に収まっている気がします。
こういうのは、自覚したときには手遅れになっているものです。
いずれ、僕もそうなるかもしれませんね。
ただただ、自分を諦めないことが、唯一僕にできることみたいですかね。