さぁ、近年まれに見る厳しさを感じている状況です。
自分が理解している自分では、
・今年に入ってからのことを思い返し、自分に感情なんぞなければよいのにと思っている。
・ここ6年程度の生活を省みると、その都度一時の感情で行動してしまっている。特にここ2年はその傾向が強い。
というところです。
間違ってる可能性がありますが。
自分の行動の多く、特にお金や時間のかかってしまうことにおいて、まさに空虚感を感じました。
目的が違うんですわ。
昨日、ファイブフォックスのゴールドカードの有効期限を1年のばす要件を満たしました。
もっとも、一般のセールが開始される前にセール価格で購入できるとか、社員販売会に参加できるとか、クリスマスにプレゼントもらえるとか、特権階級ですが。
それを失うことも正しいと理解できるだけ、僕は服を買うことに関心がないんです。
改めて思い返せば、別の目的が僕にはあって、そこにすれ違いができているんです。
今は、気がついています。
という状況が、完璧に当てはまる、他の現象が起こっていることに、つい先日気がついたのです。
しばらくは、感覚的な不一致はなかったんですが、欲望が落ち着いたら、気づきました。
これについては、詳しくは言いませんが、無駄なことしましたね。
自分の中で完結することではないので困ってしまう訳ですが。
気持ちが同じ方向向いてないんだと感じると、本質が見えました。
正直、気がつかない方が楽ですよ。
気持ちは。
自分に感情がなかったら、楽だろうにと思いますわな。
そうはいっても、感情的に優位に立つ側の人(例えば、ホストに貢いでいる女性における、そのホスト)は、感情によりあらゆることをコントロールしてしまえるということはありますが。
僕はそういう立場ではありません。
貢ぐ側にいる感じですね…
不思議なことに、能力的な劣等感や障害は、それ自体感情とは独立したものですが、かなり影響をおよぼすものです。
ここ最近、あらゆる劣等感を感じていたということがあり、相当厳しい状況が続いています。
知ってしまうと避けられないものなので、克服するとか、それこそ黙殺することになるものです。
この場合、後者は根本的な解決にはなりません。
なら、徹底して前者を目指すべき。
ですが、そのための道のりが極めて険しい、ということも少なくないものです。
ものすごいコストがかかるとか、時間がかかるとか。
コストや時間は、お決まりの言い訳なんですけどね。
まぁ、気がつかないわけです。私も含め。
大概、物事が悪くなると、その傷が深くならないようにするものです。
リストラとかあてはまりそう。
もしくは、傷つけるもの、いわば盾みたいなものを作るのもひとつです。
政府に公的資金をつかわせるとか当てはまると思います。
国のお金が減ったり、債券発行が増えて辛い。
しかしながら、問題が自分の中に閉じると、それはそれは。
防衛行動というのは、動物的にあるのかもしれませんが、行動のモチベーションまで削がれていると、そうもいかないと思います。
なんか、そういうのって外的な物事によることって多いんですよね。
圧倒的権力のせいもあるでしょう。
どんなにしたって、原因になっているモノ・こと・人を排除できないこともあるでしょう。
僕の場合、不安要素は確実に持っていると思いますが、まだ自分の振れ幅に収まっている気がします。
こういうのは、自覚したときには手遅れになっているものです。
いずれ、僕もそうなるかもしれませんね。
ただただ、自分を諦めないことが、唯一僕にできることみたいですかね。
見失いつつある自分
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