昨晩、「占いに興味ありませんか」と声をかけられました。
私は、彼の詐偽行為の全容には興味はありますが、無視しました。
さて、南明奈の人気の理由が掴みかねるところですが、私は全然信じておりません。
理由は簡単で、論理的な説明がつかないから、ではなく、興味がないからです。
大体、僕は占いの内容を自分でやってみて、その結果を解釈・評価するというモデルでしかあり得ないと考えています。
占いが未来を当てるなんて考えると、途端に邪悪な宗教になり得ます。
僕が専修学校に通っていた頃、一浪時に受験当日、大学がある方角が悪く、母に受験させてもらえなかったという仰天エピソードを耳にした、と記事にしたことがあったかもしれない。
恐ろしいことである。
その母親は、占師が身内の不幸を当てたことを契機にドップリつかったそう。
まぁ、心理的に完全な信頼をとったわけですね。
ここまでちゃんとした例は、自身の体験でも他人の体験でも滅多にないですね。
悪いことを避ける、つまりはマイナス要素を排除するという観点は、駆け引きではかなり効果的に思われます。
上記のエピソードから認識いただけると思いますが。
手相バカにしてもそうですが、「今が変化のチャンス」みたいなことを言ってきます。
ごくごく単純に、あなたの現状の(あるいは、人生の)満足度は?と聞かれて、100点以上の尺度を返す人は滅多にいない。
だから、信仰じみた商売のつけいるスキが生じるのでしょう。
たぶんですが、いい状態を高めようという発想は、大多数で欠如してそうです。
僕なんかは、人生の満足度を0%と言ってきたのでカモなわけですが、メチャメチャ満足と答えたら、手相バカはどうするでしょう。
また、手相バカの満足度を聞き、「俺より低いじゃん」と糾弾したらどうなるでしょう。
占師に、「あなたに聞きたいことはありません」と伝えてみてください。
どうも、幸せをより高める能力は占いや信仰に見い出すのは、少なくとも私は難しいです。
信仰うんぬん言う前に、自分を持つことがいいんだとおもいますよ。
今度手相バカがきたら、逆質問しなければいけませんね。
自分占い
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