沈黙すら心地いい

最近、結構しゃべることが多くなっています。それは、別にいいんですが。
ひとりで昼食をとりながら考えたことを話します。
大学3年の4月のことです。
現在の私の指導教員の先生のオフィスアワーでお話をしに行きました。
全くもって不必要ですが、微妙に緊張していて、自分がやってみたいと思っている研究もはっきり考えられていないし、どうしようと思っていました。
少なくとも、先生の専門のことややっていることを少しでも知ることを目標にしました。
いざ、部屋を訪れ…
「!?!?!?」と思っているうちに、丁寧に自分の研究のことを教えてくれました。なんとなく、うまく会話ができていたように感じるので、一安心していました。
すると…
沈黙がおとずれました。
私は気まずいと思って、何か話題がないか顔を真っ赤にしました(←たぶん)。
結局、どう乗り越えたのかは全く記憶にありませんが、私が「沈黙って、気まずくありませんか?」みたいなことを言ったときに、先生が
「私は、結構沈黙が好き。相手の人が、自分の考えをまとめたりしてるんだろうなとおもう。」
みたいなことをおっしゃいました。
自分が無口のくせに、そんな風に考えたことがなかった私は、非常にいい勉強をしたような気がしました。
「言葉の要らない関係」なんていうのがありますが、私はものすごいことだと思います。
それは、価値観が通じ合っているという状態を意味するからです。
このレベルは、よっぽどじゃないと起こりえないでしょう。
まず、沈黙に対する考え方・スタンスがきちんと出来ていないといけない。
相手のことを、強く信頼していないといけない。
自分の存在する場において、言葉で満たされているのなら、それで十分でしょう。代わりに、行動でもいい。
しかし、具体的なものに頼ることなく通じるということの力強さは、とてもとても見当が付くものではないでしょう。
私の経験では、近くにいるだけでなんとなく心が落ち着く人っていうのはいました。勝手なもんで、そういうのってずっと安定的なものって考えてしまいますね。
今は、何をしているんでしょう―
僕には、少し難しい課題でしたね。

M-1グランプリ2006

M-1を見ましたので感想を。
私は、初めて笑い飯を見たときの衝撃が忘れられず、今年も応援していました。残念ながら、最終決戦に進めませんでしたが。
恋人のいない後輩と見ていたんですが、「はじめの盛り上がりがなぁ…」と笑い飯のネタをみてぼやいたら、審査員からもまったく同じような意見が出ていました。
決勝の4分という時間は、思ったよりいろいろなことができるもんで。
笑い飯は、かつて「漫才を2個しゃちゃっている」というようなことを言われて、最終決戦に進めなかったことがあります(指の名前を決めるネタ)。もしかして、それ以後作り方が変わったのかもしれません。去年のネタはすごく面白かったけどね。
ボケが交代し始めてからが最強に面白くなっていくのですが、そこまでどう持っていくかなんでしょうね。やはり、人気が高いし、M-1では超安定株だからこそ、要求されているレベルがすこぶる高いんだと思われます。
優勝したチュートリアル。一昨年と変わって、妄想する具合が微妙に共感できるレベルで展開され、本当に面白かったです。
フットボールアワー。さすが、優勝経験者だけあり、最終決戦まで来ましたね。しかし、取り皿のネタ、見たことあるんだよな…
ぜんぜん、感想を述べてませんね。いや、実に漫才は自分の世界観が強いですね。同じコンビにしてもジャッジの点が高かったり、低かったり。まさに、笑いという場での価値観のやり取りといえるでしょう。
その後、私のM-1グランプリ2004出場記念DVDを見ました。
見てられませんでした。