とにかく眠い。
そんな中、実家に帰省しました。無事に午後4時前に着きました。
9時26分。はやて6号の1号車に乗って、仙台から発進。
すぐ寝る。
目が覚めると、郡山。
また寝る。
気がつくと、宇都宮。
まさか、はやての上りが宇都宮に止まるはずがない。大宮だ。
再度寝る。
上野を出たところ。もう3分で東京だ。
しかし寝る。
若い男性に「終点ですよ」と声をかけられて、我に返る。
三途の川を渡ろうとしていた。
東京駅にて乗り換えである。
一つの大きな不安が私を襲ってきた。
博多行きだったらどうしよう…
このテンション、間違いなく寝過ごす…
まず、自分の乗るのぞみの終着駅を見る。
岡山だ。
嬉しくなって、駅弁を買った。
とりあえず乗る。そして、しばらくして出発。何となく、駅弁をおいたまま横浜に到着。横浜を出てから、駅弁を食べる。
富士あたりを通過しているところまで記憶がある。
気がついたら名古屋だ。しかし、キリンビールの工場や、三洋電機のソーラーパネルを見た覚えがない。
京都駅に着いたことは覚えている。
しかし、大阪駅までの過程は記憶にない。
大阪駅には、確かに止まっていた。
しかし、三菱電機の工場は見ていないと思う。
「ここ、新神戸じゃねえ?」と思ったら、そうだった。
アナウンスでは、姫路に止まると言ったのに、俺だけ止まらなかった。
再び新幹線は減速していた。周りの人がどんどん席を立っている。岡山らしい。しかし、岡山放送の看板を見ていないぞ。
みんな降りるらしいので、便乗して降りてみた。
工事が完成した部分があるらしく、まるで別の岡山駅である。下りのエスカレーターなんて乗ったことがない。
無事着いたかと思いきや、むしろここからが問題かもしれない。
山陽本線に乗り換えるのだが、下手をすると広島県にまで突入する。
取り越し苦労だった。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。旅の前日には、きちんと寝た方がいいですね。
月別アーカイブ: 2006年12月
三種の神器
ここ数日、夜が遅くてお疲れ気味な気がする。
さて、よく「心・技・体」なんて言われますが、意識したことはありますでしょうか。
なんせ、3年生の9月に見事に入院した私ですからね(死)
もともと、心の強さを重視していたんですが、考えてみれば割と単純なもんで、どれもなくてはならないんです。
まぁ、そう言ってしまえばそれまでなんですが。
私は、何かを成し遂げる動機は心理的なレベルで生成され、実行するために体と技がある、ぐらいに考えていたんです。
おそらく、漫画などを見て、ボロボロにやられたのに何度も立ち上がり最終的に敵を倒す場目なんかからきているんだと思います。
入院したときに、ベットで1時間ほど涙が止まらなかったことがあります。
それは、当時やっていたドラマの電車男の最終回が見れなかったことではなく、大竹佑季や北陽、当時ネットがあったイズミカワソラのラジオが聴けなかったことではありません。
ウイルスだったので、ただず~~っと点滴をしながら寝てるだけだったんですが、熱もほぼでなくなり、点滴もなくなっていた週末。主治医から、
「回復が遅い」
というようなことを言われたのです。
もう少し、生産性の高い入院生活だったらよかったんでしょうが、それこそ何にもない生活だったので、珍しく荒れてましたね。
生きている心地がまったくしなかったです。
すごく悔しくて、「俺は、こんなところで何をしているんだろう」と、ずっと同じことを考えながら、涙を堪えることができなかったのです。
この時は、体が心を支配していたと言えると思います。
毎朝の新聞以外は新鮮な物がなかった生活の中、2度目の週末を越え、毎週火曜日午後の教授回診というあまり乗り気になれなかった時間がきました。
その時、「もうすぐ退院だね」と言われました。
翌朝、主治医が一人できて、「回復が遅くて少し心配したけど、安静にしていれば大丈夫だから退院の日程を決めましょう」と言われました。
私は、「明日にします」とだけ告げました。
退院を決めた日、チームの他の医師も来ました。
「退院の日、決めた?」と聞かれたので、「明日にしました」と言いました。
少しバカにしたような感じで笑いました。「快気祝いだとか言って、ビール飲んじゃダメだよ」とか言われました。
「ビールは飲みません。私は焼酎なんで…」とギャグも言わず、無視しました。そんな会話は私にとってはどうでもよく、本当に何もない時間を過ごしたので、「生きて、何か人の役に立たなければいけない」という決意だけ持っていました。
その後
塾には丸々4週間ぶりに復帰。大学は、後期のはじめに間に合いました。
お見舞いに来てくれた人は多くありませんでしたが、微妙に迷惑をかけたでしょう。最終日に出席せず、そのまま入院となった連続講義には「B」という単位が認定されていました。
ある塾の生徒には、「星になったと思っていた」と言われました。その曜日の先生方は、うまく入院の事実を隠していてくれたようで。
入院中、生きて何もできていないと自分で思ったからこそ、とても自分が輝く星になるような器ではないなあと思ったものです。もちろん、「勝手に殺すな」と生徒には言ったんですが。
退院後の通院は2ヶ月でしたが、お酒と運動以外はほぼ普段どおりだったので、不自由することはありませんでした。
残ったこと
・健全な体に、信念を持つ心が宿り、その行動が積み重なり技が磨かれていくこと
・互いが強く関連しているからこそ、心技体どれかが欠けるだけで簡単に崩れていくし、全てが高いレベルで兼ね備わるならとても優れたものとなる
そんな中で、成し遂げたいという想いを原動力とする自分がいればそれでいいと、今は思っています。
天気は荒れていましたが、仙台は今、太陽が見えますね。