引っ張ってきました。
佑季ちゃんは、現在実家に戻って休養中なんです。ウィキペディアで知りました。
でもきっと、また逢えると…
人間、それぞれ才能があると私は考えます。そして、その才能は自分を人を幸せにする力を持っていると信じています。
ただ、その才能自体を認識することがまず難しい。つまり、自分の才能を知ることなく生きている人が多いんではないかと思うんです。
しかも、才能の所在は、自分の意思や希望とは無関係。だからこそ、いわゆる普通の生き方をする人が多く、才能に溢れる生き方をする人に憧れるんでしょう。
そのようにして、周囲の目を集めるから、才能ある人は期待に応えようとするし、期待の大きさに苦悩するのではないでしょうか。
私は、才能を見つけた人間は、その才能を発揮する義務があると考えます。ときどきは休んでもいい。ただ、誰もが遂げられることではないものを担う人間として、みんなが願うことをもたらすのはまさに責任といえるでしょう。
こう考えているから、苦悩して、自分を探して、才能の居所を求めて、どんなに苦しくても、辛くても、恐くても、進まなければと思うわけで。
とはいえ、私の興味の触れ幅があまりに極端なせいで、逃しているところがあるのかなあと少し感じています。不器用だから、同時にいくつもこなせないし…
まあ、それはいい。自ら訪ねればいいだけだから。
こう考えているから、歌を歌うべき人は、必ず歌を歌うために戻ってくるはずなんです。
月別アーカイブ: 2006年9月
眠る孔雀
今日、金曜日ですね。そう、今週最後の平日です。
ほとんどの人にとって、きっと普通の一日なんでしょうが、私にとっては忘れられない一日になりました。
今日、2度涙を流しました。
1度目は、新幹線の中です―
今週の水曜日にあった、最も大切な夢への最終面接のことをずっと考えていました。
最近は、東京に行くときに、大竹佑季『眠る孔雀』のCDを聴いていました。
彼女は、今年3月までイキナリ!火曜日の担当で、このラジオ番組をきっかけにすごくファンになりました。
ホリプロスカウトキャラバンで、「自分の世界観を持った女性シンガー」という選考テーマのもとに誕生した歌手。私は、大竹佑季ちゃんの歌を聴くと、なぜか不完全さを感じて、それがもうピッタリと自分に重なるように思えるのです。去年の大学祭に突然出演が決まり、もちろん見に行ったのですが、本当に感激しました。
話を戻しますと、もし願いが叶い、先日の会社で働けるなら
俺は生まれ変わるだろう
そう思っていました。
ラジオという今まで自分の趣味として考えていたものが、自分のフィールドになる。そのことを考えると、ずっと震えが止まらなかった。
ただ、何かを得るということは、同時に何かを失うということだとも感じていました。今まで楽しむことを無限大に許されたリスナーであることを、そう、今現在ある「オーバータイム」でなくなることを―
しかし、それを打ち破る確信がありました。それは、自分が担うラジオの世界は、自分が一番のファンでいれること―
雄の孔雀は、美しく羽を広げるそうです。『眠る孔雀は 目覚める日を待っている』まさに、その通りでした。
その後、保険会社の面接を受け、まったく手応えもなく、揺らぐ気持ちを保ちながらホテルに向かう途中、私の携帯電話に着信がありました。
来たか―
やはり、静かなところで出たいので、ホテルへ急ぎ、部屋に入ったと同時に再び電話が鳴りました。
やはりそうでした。
先日の面接でのお礼―そして、選考結果。
私の夢は、叶いませんでした
不思議なもので、私はまるでその結末を知っていたかのように冷静でした。
総務部長からの電話でしたが、社長は私の面接での話を「思わず聞き入ってしまった」とおっしゃっていたそうです。それでも私は、そこで生きる権利は与えられなかったのです。
電話から少し経って、涙が溢れてきました。もう2時間は経ったかな…それでも―
今は、まるで全身の血を全部抜き取られたかのようです。掴みかけた羽が消えてしまった―
こんなことは言うべきじゃないんでしょうが、もうキツイです。
それでも、僕は生きる。まだ眠っているんだから。必ず、美しい羽を持って、目覚めるために