どうも、現在の私は苦悩しているというか、不安を感じているようです。
はたまた、期待が大きすぎるのか―
まぁ、期待といっても、今の私は友人や知り合いから寄せられる期待はあまり多くありません。つまり、期待を寄せる中心は、他ならぬ「自分自身」なのです。
悔しい思いをして涙した後に、考えてみたことがありました。
俺は、何に対して泣いているのか―
自分がやったことへの結果か。
周りからの期待か。
果たすべき約束か。
その場その場で異なるでしょうが、どれも正しいと思います。
ただ、それはきっかけであって、根源的なものではない。
自分なりに考えた悔しさの根源は、「自分自身に対する期待」だと思うのです。
結局、自分の行動の結果だって、周りからの期待だって、約束だって、「自分ならできる」とか、「俺がやるべきことだ」といった具合で挑んでいるものだと思うんです。
やっぱり、そう思えたときの自分は強く、そしていつも以上の力を発揮できたような気がします。
その反面、達成できなかったときのダメージは大きいんだと思います。
だから、弱気になって、自分を守るために「どうせ無理だから」なんて考えるようになることもありました。
おおよそ、何かを成し遂げることは半端な気持ちではできそうもありません。戦いだから。
まず、リングに上がる必要があります。
次に、相手に立ち向かう必要があります。
そして、最終的な結果が出るまで戦い続ける必要があります。
最後に、結果から目を背けない必要があります。
どの段階をみても、自分の思いにつながる部分があると思います。
例えば、受験にしたら、願書を出し、試験を受け、結果を待ち、合否判定を知る。
どの要素も重要で、どれかが欠ければ悪い結果に終わるのに、良い結果のためにはどれも欠けてはいけない。実に理不尽で、負け戦のようです。
不思議なことに、どんなに負け戦であっても、挑んでいったことって1度くらいはあるもんです。
もし、その挑戦が成功できたときは何を得ましたか。
富か、名誉か、地位か…
一番は、きっと「自分への自信」だと思います。
本来魅力のある人間というのは、自分に対してよい自信を持っています。その自信は100%ではありません。もちろん、100%ほどの場合もあるでしょうが、本当に100%の時、多くは逆に傲慢に映るはずです。
もともとはやはり不安が強いと思います。その不安を少しでも自信にするために、人は努力するし、励まされたり、応援されたりして勇気を得るのです。そして、魅力ある人は感謝を忘れない。
今の私には、感謝すべき人は多いですね。それだけ、私はいい影響を受けていると思う。
結果がない。それが最大の不安要素といえるでしょう。
結果を得た時、今の私ならきっと涙するでしょう。結果の良し悪しに関わらず。でも、どうせなら自分に自信を持ちたいし、感謝すべき人たちにいい報告をしたい。そして、多くの人に、世の中に役に立ちたい―
覚悟はできています。今までは、そうは思っても、根っこで本当の自分から逃げていたんです。だから結果が悪かった。
そんな弱い自分を越えてみせる。
今が一番…
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