24時間テレビ

今年もやってますねえ、24時間テレビ。
私は、あんまり見てないですけど…
ただ、サライはカラオケで歌ったことがあるほどなので、毎年フィナーレは見ているのですが。
24時間テレビといえば…そう、チャリTシャツです。私は、高2の頃、夏休みに東京に行っていたときに、まだJR市ヶ谷駅近くに日テレがあった頃、なんだろうショップに行って、紐を引くとプルプル震える「ぷるぷるなんだろう」と一緒に購入しました。チャリTシャツは、¥2000もしないので、決して高いものではないですし、募金の意味もあるので、得した気分になりました。
色は、毎回黄色がベースなので、24時間テレビやってる最中ぐらいしか勇気を持って着れないんですが、大学入学後、野球の授業で着ていました。違和感はやっぱりありましたが…
24時間テレビって、不思議な番組ですよね。全力で感動に取り組んでいる。そして、その感動の力を世の中に還元しようとしているんですね。私は、そう思います。
それに、なんとも現実的なもんで、いろんなゲストが出てきて、いろんな話が紹介されるんですけど、決して全部に感動するわけではないんです。まあ、私が未熟なのかもしれないのですが…
個人的には、24時間テレビって、感動を与えることの難しさと、感動すること自体の大切さを表現しているのではないかと思います。別に、ずっと起きてることの大変さなんて、言うまでもないですからね。
その感動の根源というのは、理想的な頑張り方なんじゃないんでしょうか。恵まれない境遇や、困難な状態に対して、その人がどのように向き合い、克服していくのか。それを主人公を自分のように考えたり、今の自分の境遇に当てはめてみたりして、共感するんですね。
24時間テレビに出演している側としては、その感動を届ける力強さ、見ている側としては、その感動を受け取る感受性が育っていくわけです。
今年はKAT-TUNがパーソナリティーですが、それは単なるきっかけに過ぎないのです。もちろん、KAT-TUNの活躍を見て感動することもあるでしょう。それにプラスして、自分が共感するところが見つけられればいいんじゃないでしょうか。きっと、大きなプラスになるでしょう。

強さ

いやー、先日のグループワーク、落ちてましたorz
残念でなりませんが、こればっかりはしょうがないので、次へ行きます。
例えば、このグループワークのように、人は何かを達成しようと挑んでいくわけですが、なぜなんでしょうか。落ちることも認めた上で、なぜ挑み続けるのか。自分なりに考えてみたいと思います。
普通、何かをやることの動機というものは、そのやることによって、得られるものがあるからだと思います。たとえ、それが義務的なことであってもです。例えば、学生にとって学校に行くことというのは一見義務的ですが、出席を得られる・勉強を教えてもらえる・給食が好物・好きな子に会えるなど、多くの価値も含んでいることから言えますね。
また、何かを得るために、ほかの何かを犠牲にすることもあるのです。続けて学校に行く学生を例に取りましょう。学校に行くことで、学校に行くだけの時間がかかる・嫌な先生に会う・定期をなくす(?)など、マイナスを得ることもあるわけです。
よく考えてみると、自分が好きなことっていうのは、マイナスよりプラスの面が大きいんじゃないんでしょうか。私の趣味であるラジオなんていい例ですよ。プラス面は、娯楽であるため当然楽しい・場所を選ばない・同時にほかのことができるなどいっぱいあって、マイナス面は、電気代か電池代ぐらいですからね。
やろうとすることが大きければ大きいほど、大きなプラスと大きなマイナスの可能性が出てきます。基本的には、相関関係がありますね。
特に、自分の人生に関することはそうじゃないでしょうか。
私のような凡人では、受験や就職というのはとっても大きな課題といえるでしょう。でも、よくよく考えてみたら、それをするかどうかの時点で自分に選ぶことができたのです。受験にしたって、どこの高校・大学にいくか以前に、高校・大学にいくのかを選択できるのです。就職だって、暴力的ですが、しないと決めたらそれまでなんですよ。
じゃあ、今までなぜ私は受験の道を選び、今就職を志しているのか。それは、自分が、そのフィールドで成し遂げたいものがあるからなんです。つまり、大きなプラスがあるからなんです。でも、冷静に考えると、同時に大きなマイナス面を含んでいるのかもしれません。それを踏まえて、できる限り理解して、挑んでいるんです。
就職をするプラス面は何でしょう。お金でしょうか。私は、決してそうではありません。お金は、いろいろなものと交換できる非常に便利なもので、生きていくうえでもとても重要なものです。まさか、いらないなんて思わないし、できるならば人より多く稼ぎたいとも思います。その反面、非常に即物的なものでもあります。お金それ自体は、ただお金であり、それに過不足ない財やサービスが提供されるだけですから。お金自体では、決して満たされきらない。
私自身は、生きて人の役に立ちたいと常々考えてきました。今までは、自分のかかわられる世界が小さかったので、どれだけの役に立てたかはわかりません。自分の力不足がもっと大きな原因だったかもしれないし、もしかしたら役に立ってかもしれない。これからもそうしたいと思っています。
社会に出れば世界という視野で、もっと多くの人に対して役に立つことができるのではないか、そう考えるようになりました。それが、私の一番の動機です。
今は、マイナスの真っ只中かもしれません。合格するよりも落ちることのほうがずっと多いですし、望んだ相手に受け入れられないということは、本当につらいことです。それでも、自分の志を達成するための場所がほしい、チャンスがほしいと思い、挑んでいくわけです。
仮に、就職したらしたで、マイナス面もあるでしょう。今までの人間関係から、まったく新しい人間関係への移行・学生時代との時間のゆとりのギャップ。働いてみてわかることも多いでしょう。
たぶん、マイナスのほうが多い気がします。
それでも、自分の果たしたい志があるんです。たとえ、どんなに辛くても、誰からも認められなくても―
だから、こう思います。
辛い嵐の真ん中を真っ直ぐ進んでいくんだ。本当に辛いときは、少しぐらい立ち止まっていい。また、進んでいけばいい。逃げることはするな。自分を裏切ることになるから。
うまくいかないときは、逃げるのではなくて、バッサリ死ねばいいんです。そうすれば、また新しくなって戦える。とても力が要ることですが、きっと前より強くなれる。
最近母親に言われます。「どうせ就職はできないだろう。進学して、公務員の勉強でもすればいい。」確かにそうかもしれない。現実、進学する可能性はあります。でも、絶対に民間に就職しようとするでしょう。うまくいかなくて、その難しさも、辛さも知っているのに―
私の考えている強さは、志の強さに通じるところでしょう。それでも、あんまりうまくは言えませんが…
迷いはありますか?じゃあ、聞いてみればいい。自分はどうしたいのか。そして、大きな犠牲を払っても、成し遂げるべきことがみえるなら、進めばいいんじゃないでしょうか。